【第8回】
実例4
CT検査、善意の裏に悪意の影
医療側の責任回避が患者の被曝リスクを高める
子供が頭を打って大泣きした。CT検査を受けたけれども問題はなく、ほっと一安心した――。そんなことは、医療に深く携わらない人でも聞き及ぶ時があるかもしれない。
実は、患者からすると、CT検査も医師の言いなりになりやすい医療行為の一つだ。関東に住み、保育園に通う北山君(仮名)の保護者から次のような話を聞いたことがある。頭を強く打って救急を受診したところ、CT検査をすることになった。結局、北山君が暴れたことでCT検査は断念、X線写真を撮って異常なしとの結果になった。
その経緯を振り返って、北山君の保護者は「最初からCT検査は必要なかったのでは?」とちょっと狐につままれたような思いがしたそうだ。
公的機関である放射線医学総合研究所によると、CT検査1回で受ける被曝量は5~30ミリシーベルトの範囲にある。X線検査が1回当たり0・06ミリシーベルトであるのに比べれば十分に高い。さらに、東京電力が2014年に公表した福島第一原子力発電所の作業員に関する被曝量のデータによれば、2013年12月の最高値は10ミリシーベルト程度だった。CT検査は、この水準に匹敵する放射線被曝を受けると言える。
放射線医学総合研究所によると、CT検査1回から受ける健康面の影響は科学的には不明だが、喫煙や食事、ウイルスから受けるリスクと比べて高くはないと推測している。とはいえ、心配ではある。
日本では、CT検査が盛んに実施されている。正確な実施件数は不明ながら、これまでの報告によれば、国内のCT検査装置は1万台を超え、実施件数は年間4000万件に達すると見られている。世界的には日本が突出して高い。
私自身、北山君のケースのように、CT検査をすべきだったのかという声を聞くことがよくある。
CT検査は頭を打った、失神した、頭痛があるといった場面で、日本では日常的に実施されている。だからこそ、年間4000万件もの検査が行われるわけだ。だが、海外では「あまり実施しない方がよい」と実施の是非を問う研究結果が注目されるようになっている。
そういう意味ではCT検査にとって逆風だが、なかなか一般的には耳に入らない状況は不思議な感じがしなくもない。
強い関心を集めたのは、英国のマーク・S・スピアース氏らが2012年に発表した研究と、オーストラリアのジョン・D・マシューズ氏が2013年に発表した研究である。それぞれ約18万人、約68万人のCT検査を受けたことのある若者を対象にガンの危険度を調べたものだ。
結果として、英国の研究では、白血病や脳腫瘍が3倍近くも増えると分かった。もともと頻度の高いガンではないので絶対数としては少ないものの、従来なかった検証データとして世界的に注目された。オーストラリアの研究でもガンの増加が判明している。
いずれの研究も、CT検査の価値そのものは否定していない。ただ、むやみな検査実施を自制するよう医療関係者に求めている。
CT検査が積極的に行われる背景には、3つの問題があると私は考えている。
まずは「念のため」である。CT検査の画像を参考に、思わぬ重症の患者を拾い上げたい、見逃しによるトラブルを避けたいという思惑だ。
ほとんど可能性はないと分かっていても、万が一でも脳に出血が及んでいれば医療側が責任を問われる。患者にしてみれば、異常に低いリスクのために全身が被曝リスクにさらされるということだが、CTを受けなかったことで重大な問題を見落とす可能性もあるだけに、患者の抵抗も起こりにくい。
「検査費用」の問題もある。医療機関にとってはCT検査をすれば当然利益になる。被曝のリスクがあるとはいっても、致命的な問題がすぐに起こるわけではない。であれば、実施をやめる動機づけは起こりにくい。
さらに、最も重要だと思われる「無知」の問題がある。最近になって、ようやくCT検査に伴う被曝リスクが問題視されるようになったが、そもそもCT検査がリスクをはらむと思わなければ、実施を避ける理由は生じない。一般の人々が分からないならばまだしも、医療側にそういった情報が確実に広がっているかは定かでない。 それぞれの医療行為には利益がある一方で、必ずリスクを伴う。出費の問題も伴うので、正しい情報はメリットとリスク両面から提示されるべきだ。医療は基本的に善意の装いをまとっている。しかし、その背景に悪意があるとすれば、ちょっと黙ってはいられない。
実例5
高齢者の胃ろうはなぜ続く?
終末期医療だからこそ起きる無駄な医療
(つづく、第9回)