室井一辰 医療経済ジャーナリスト

医療経済ジャーナリスト、室井一辰。『絶対に受けたくない無駄な医療』の連載をはじめ、医療経済にまつわる話題をご提供いたします。

(9回)『絶対に受けたくない無駄な医療』(室井一辰著,日経BP,2014)高齢者の胃ろうはなぜ続く?  終末期医療だからこそ起きる無駄な医療

絶対に受けたくない無駄な医療

絶対に受けたくない無駄な医療

【第9回】

実例5
高齢者の胃ろうはなぜ続く? 
終末期医療だからこそ起きる無駄な医療

 私は以前、高齢者を収容している病院を訪ねて、呆然としたことがある。死を目前にした「終末期医療」の現場である。多くの高齢者がベッドに寝ているところを案内してもらったのだが、失礼ながら異様な感じを受けた。
 具体的に言えば、高齢者医療の現場で人々を悩ませている「胃ろう」の様子を直接見たのだ。胃ろうとは、口から食事を取れなくなった人に対して、へその部分に人工的にチューブを通すための穴を作り、胃の中に通して、栄養液を流し込み、栄養補給をする方法をいう。そもそも口から食事を取れなくなった時点で、寿命が来たのではないかと率直に感じた。
 高齢者はベッドに半ば拘束されており、意識らしい意識がほとんど感じられない人が少なくない。いわゆる認知症を患っている人も多く、生気がほとんど感じられない。中には、親族が毎日訪ねているとは思えない高齢者もいた。耳学問で聞いてはいたが、これほどまでとは思わなかった。
 食事の時間になると、看護師がラックにつるした複数の袋を準備して、栄養液を調整する。ゆるいヨーグルトのような見た目だ。それを各病室に運んで、胃の中へと注ぎ込むわけだ。患者はその栄養を吸収して生き永らえている。栄養補給の目的は、単純に寿命を延長させること。「延命医療の意義を考えるためにあるような医療」と言っても大げさではない。


 胃ろうの問題は、私が訪問した小さな病院にとどまらず全国的な問題になりつつある。全日本病院協会は2011年の調査で、日本で胃ろうを通して栄養供給を受けている人は、高齢者を中心として26万人に上ると推計した。チューブをつないで栄養供給を受けるだけの余生を、多くの人が送っている。
 患者自身は既に判断能力を失っており、胃ろうをするかどうかは家族の判断だ。「そんなことまでして本人は生きたいのか」「そんな状態のまま生き永らえさせていいものか」。そんな悩みを抱えながら日々を過ごしている家族は、それこそ胃ろうを受ける高齢者の数だけ存在する。
 背景にある問題としてよく指摘されるのは、高齢者に多額の年金や恩給が給付されている場合だ。
 胃ろうを受ける高齢者が現役時代に大企業に勤務していたり、旧軍人の遺族であったりする場合は特に問題になる。本人が生きているだけで、家族に金銭的な給付が入る。胃ろうをやめてどこかで寿命を全うさせねばと分かっていても、中止の判断に損得勘定が絡む。
 医療側にとっても、社会的な問題が関係してくるだけに正常な判断が難しい。医療側から勝手に胃ろうをやめようものならば、金銭的な利益を背景としたクレームを受ける場合も出かねない。トラブルに巻き込まれた医師は日本全国どこにでもいるはずだ。このように、患者側も医療側も、高齢者本位で判断しづらい状況に陥っている。
 胃ろうは脳卒中後など、若いうちに体の自由が利かなくなった人に有効と見られる一方で、超高齢者の延命目的で使うことには無効と長らく考えられてきた。それでも病的に続いているのは、誰も決めきれなかったからにすぎない。患者が混乱に巻き込まれているというのが実態だろう。
 日本では2012年に、日本老年医学会が胃ろうを含めた終末期の治療の差し控えや中止も考慮するという見解をまとめている。それも断定的な結論が示されているわけではない。結局、手探りの状態が解消されることはない。
 認知症で通常の判断が全くできなくなった高齢者が、病院のベッドで栄養液を受け続けるのは、決して好ましい状況とは言えない。延命の問題は最終的には医師ら医療側が決めるのは難しい。家族が決断しなければならない。
 純粋に医学とは離れた問題に苛まれて無用な医療にはまってしまう。同じような問題は、透析や人工呼吸器などの終末期医療でも起きやすい。


 これまで紹介した患者の例を振り返えれば、胃ガンの治療選択の場合は治療方針の混乱に患者が振り回されていた。心臓病の一つ、ブルガダ症候群の問題も同様だろう。
 精神疾患では、精神分野特有の疾病の曖昧さが問題になった。CT検査では、最近報告されているリスクに関する情報が患者の段階まで下りてきていない。高齢者医療においては、無用とも判断された医療行為が社会的な事情を背景にずるずると続けられている。
 いわば中身の見えない「ブラックボックス」の状態の中で、患者は手探りで誤解や不安を解く方法を見つけねばならない。その過程では、うまく事が運ばず不満を募らせ、何らかのきっかけで医療側にクレームを申し立てる場合もあるかもしれない。それが極端なところまでいくと、過剰な不平を申し立てる「モンスター患者」と言われてしまう。
 モンスター患者は医療側から忌み嫌われるが、どこで起きても不思議はない。でなければ、近藤誠氏の著書、『医者に殺されない47の心得』のような強いメッセージが、日本国内で100万部に達するほどに受け入れられることはないだろう。医療側と患者側との間の衝突の種は意外なほど身近に溢れている。
 このように患者側の事情を見ていくと、問題の根に患者側と医療側の情報格差がある。対策が十分ではないのがいずれの場合でも歯がゆい。うまく穴を埋め合わせたいところだ。
 もちろん、医療側には医療側の事情もある。医療側の問題をさらに見ていこう。

(つづく、第10回へ)