室井一辰 医療経済ジャーナリスト

医療経済ジャーナリスト、室井一辰。『絶対に受けたくない無駄な医療』の連載をはじめ、医療経済にまつわる話題をご提供いたします。

高血圧の薬──変わる高齢者の適正値(38回)『世界の医療標準からみた受けてもムダな検査 してはいけない手術』(室井一辰著,洋泉社,2019)

世界の医療標準からみた受けてもムダな検査 してはいけない手術

世界の医療標準からみた受けてもムダな検査 してはいけない手術
高血圧の薬──変わる高齢者の適正値
総患者数1000万人をどう治す?

 高血圧は生活習慣病の一つとしてよく話題に上ります。厚生労働省の患者調査によると、2014年の調査日における総患者数は1010万8000人に上っており、
年は右肩上がりで伸びている病気の一つです。
 血圧は心臓のポンプから押し出される血液が血管の壁を押す圧力です。心臓の動きに合わせて、波のように圧力は強くなったり弱くなったりします。強くなったピークのところが、収縮期血圧と呼ばれており、弱くなった底のところが拡張期血圧と呼ばれています。心臓が収縮したときと拡張したときに対応するからです。
 高血圧は、この収縮期血圧と拡張期血圧の値をもって診断されています。基本的には、収縮期血圧が140㎜Hgという値を超えるか、拡張期血圧が90㎜Hgを超えると高血圧と呼ばれています。㎜Hgというのは、ミリメーターエイチジーと読むのですが、ここで使われているHgは水銀のこと。水銀の入った柱を押すときに必要な圧力を示したもので、血圧が歴史的に水銀柱を使って測定されてきたことから使われている単位です。
 高血圧となれば、基本的には食事療法や運動療法で血圧を下げることになります。血管内の水分量が増えると血圧は高くなります。塩分が高いと身体は水分をため込みやすくなるので血圧が上がるのです。また肥満になっても、血管が押されて圧力が高まりやすくなります。ゆえに、塩分のとりすぎや肥満といった高血圧のネックになっている生活習慣を改善するのがオーソドックスな対策です。
 そうした対策でも治らなければ、薬を使うことになります。収縮期血圧を120~130㎜Hg以下になるまで、拡張期血圧を80~85㎜Hg以下になるまで下げるのです。
 血圧を下げることで心筋梗塞や脳卒中などの血管の病気を防ぐことができて、さらには寿命を延ばすことができると証明されているからです。

高齢になってからの血圧の適正値と治し方の議論が続く

 チュージング・ワイズリーでは、こうした高血圧の治療について高齢になってくると考え方をやや柔軟にするようにと提言をしています。
 まず前提として、低下させることは大切であるという立場に違いはありません。収縮期血圧を150㎜Hg以下に下げると、脳卒中、死亡率、心不全を防ぐことができるとわかっているからです。若い世代よりも血圧を下げる水準は高めではありますが、血圧を下げること自体には意味がある、としています。
 ただ、米国の慢性疾患に関わる医療従事者の団体・米国医療ディレクターズ協会は、それよりさらに低い水準まで血圧を低下させることについては慎重な考え方を示しています。
 下げるにしても、60歳以上になったときには、血圧を下げる手段としては生活の改善を最優先にすべきと説明しています。
 生活習慣の改善をまず行う、というのは若い年齢でも同じように考えられていますが、高齢になるとなおさら重要度が高まるということを伝えているのです。
 さらにいえば、薬の副作用の問題があるからです。高血圧の治療法としては薬を使うことになるのが一般的ですが、その副作用として血圧を下げすぎてしまうことの危険性が指摘されています。血圧が低下すると、脳への血流が減ることによりめまいを生じる可能性もあり、転倒するなどの事故の原因になることがあります。さらに、疲労感や吐き気が出たりすることもあります。むしろデメリットのほうが目立ちかねないと考えられているのです。
 高齢になってからの血圧の治療については、チュージング・ワイズリーの外でも動きがあり、2017年~2018年の間に、欧米の研究を踏まえて、世界中の高血圧のガイドラインで、問題がなければ65歳以上であっても収縮期血圧は130~140㎜Hg、拡張期血圧は70~80㎜Hgの水準まで下げるように、となっています。
 高齢になってからの血圧はどれくらいが適正かは、従来から医学的な論争の的であり続けてきました。それを試験するための研究の対象者を集めるのが難しいなどの理由もあり、なかなか答えを出しにくいテーマではありますが、従来は高齢者ではあまり血圧を下げない方がよいのではないかと考えられてきました。高齢になると血管が狭くなるために脳に血液が届きづらくなると考えられていたのが一つの理由です。血圧を下げるとなおさら血液が届きにくくなり、脳卒中を起こしやすくなるのではないか、という風に見られていました。
 しかし、2016年に発表された研究では、75 歳以上でも収縮期血圧は120㎜Hg未満に下げると死亡率が下がると示されたのです。この研究結果から、これまで慎重に考えられていた高齢者の高血圧治療は、積極的に行ってはいいのではないかという方向に変わってきています。前述のように2017年~2018年に高血圧のガイドラインで血圧の基準が引き下げられたのはこうした事情があったのです。

チュージング・ワイズリーは変わり続ける

 チュージング・ワイズリーにおいても、こうした流れを受けて、米国医療ディレクターズ協会が2017年にそれまでの勧告を改訂しています。ただし、現在でも、高齢者の高血圧の治療は慎重に行うべきという立場は変わっていません。チュージング・ワイズリーは科学的な根拠を踏まえて、少しずつ改訂をされていきます。ですので、この高血圧の項目については、今後さらなる検討を経て高齢者の高血圧を積極的に行ってよいという推奨に変わる可能性はあります。まだ高齢者の高血圧について慎重さを残しているのは、薬の副作用が存在するのは事実であるといったデメリットも踏まえてのことだと推定されます。
 ここで知っておいていただきたいことは、チュージング・ワイズリーの推奨はその時点での科学的な根拠についてベストと考えられることについて述べている、ということです。新しい根拠が出てくれば、内容が変わる可能性もあるということです。なんだ、それでは信頼できないじゃないかと思われる方もおられるかもしれません。ですが、それぞれの時点での根拠を吟味して、よりよい選択肢を知ることができることはやはり意味があると私は考えています。繰り返しになりますが、チュージング・ワイズリーをリードしているABIMファウンデーションは、その目的を医療従事者と患者の対話を促すことと位置づけています。チュージング・ワイズリーに掲載された推奨をもとに、医療機関で行われている医療行為についてぜひ考えるようにしていただきたいと思います。自分の受けている医療に関心を持ち、疑問を感じたら医療従事者に問いかけてみることは、決して悪いことではありません。そのためのツールとして、チュージング・ワイズリーに掲載されている情報はやはり良い道しるべになるはずです。