室井一辰 医療経済ジャーナリスト

医療経済ジャーナリスト、室井一辰。『絶対に受けたくない無駄な医療』の連載をはじめ、医療経済にまつわる話題をご提供いたします。

(16回)『絶対に受けたくない無駄な医療』(室井一辰著,日経BP,2014)受けたくない医療2【前立腺ガン】 早期の前立腺ガンでは骨への転移検査をしない 米国臨床腫瘍学会、米国泌尿器科学会

絶対に受けたくない無駄な医療

絶対に受けたくない無駄な医療


【第16回】

受けたくない医療2【前立腺ガン】
早期の前立腺ガンでは骨への転移検査をしない
米国臨床腫瘍学会、米国泌尿器科学会

 前立腺は骨盤に囲まれるようにあるため、ガンの存在が分かると、増殖して骨に食い込んでいかないかと心配になるものだ。一般的にも、骨に転移していたとなると、「ちょっとまずいのかな」と思うだろう。あらかじめ調べたいとも思うかもしれない。
 ところが、米国臨床腫瘍学会は、「PETやCT検査、放射性核種を使った骨転移検査(骨シンチグラフィー)を実施してはならない」と強調している。PETは放射性物質を含んだ糖分を使って、糖の消費が旺盛なガンの場所を調べる検査。放射性核種による検査の中には、骨に集まりやすい放射性物質を使った検査もある。
 骨への転移をどの段階から心配するかだが、「リスクの低い早期の前立腺ガンで骨への転移の検査が意味あり」と示した臨床研究からの根拠は希薄だ。
 意味を持つのは、一定のステージを超えた進行度の高いガンについてだ。低リスクの前立腺ガンとは、専門的に言えば、「前立腺を覆う被膜の内側にとどまっているような場合」「血液検査で前立腺ガンの可能性を示すPSAの値が10ng/mLを下回る場合(※1)」「針生検(※2)で見られた腫瘍組織のパターンから悪性度を点数で判断する『グリーソンスコア』の点数が、最高10点のうち6点以下の場合(※3)」である。
 無用な画像検査をしてしまえば、体に負担となるうえに、無用な放射線治療、誤診といった問題が新たに生じることになる。そのため、米国泌尿器科学会は「低リスクの前立腺ガンの男性には安易に骨転移検査を実施してはならない」と制限したうえで、「低リスクの前立腺ガンの患者に、骨転移が検出されることはほとんどない」と説明している。
 ちなみに、米国泌尿器科学会や、国際的なガン医療の標準とされる米国国立総合がんネットワーク(NCCN)のガイドラインには、骨の転移検査が不要な基準が示されている。それは、「新規に診断された前立腺ガンのうちPSAが20・0ng/mL未満」「グリーソンスコア6以下で、病歴と身体検査から骨転移がないと判断できる場合」というものだ。
 逆に、骨転移を検査するのは、前立腺ガンのステージが進んでいる場合、高いグレードの場合など、広くガンが浸潤しているような時になる。
 日本の場合は3割負担に抑えられるとはいえ、検査費用が5万円前後になることもあって負担は決して軽くない。もちろん、一緒にどんな処置を行うかで変わってくるが、検査は必要な範囲にとどめたい。

※1 健康な男性のPSAの値は4ng/mL未満である場合が多い。10ng/mLはこの水準よりはやや高い水準と言える。
※2 一般的な注射針よりも太い直径1.2㎜の針を刺して、前立腺の組織を採取する。全身麻酔をかけたうえで、会陰(陰嚢と肛門の間)を数カ所指すので身体的、精神的な負担は伴う。採取した組織を顕微鏡で観察して、ガン細胞が存在するかを確認する。
※3 グリーソンスコア6点は、ガン細胞の悪性度としては中程度。どちらかと言えば、悪性度は低いと言ってもいいくらいだが、ガンであるだけに判断は難しいところだ。

受けたくない医療3 【前立腺ガン】
低リスクの前立腺ガンは安易に治療を始めない
米国放射線腫瘍学会

 一般的には、ガンが発見されたら「すぐに治療」と考える。だが、必ずしも治療を開始しなくてもよいという考え方もある。例えば、ここまで検査への疑義を紹介してきた前立腺ガンは、治療においても慎重を要するものになっている。とりあえず放置することも考えるという、耳を疑うような指摘である。
 米国放射線腫瘍学会は、「低リスクの前立腺ガンは安易に治療を始めるな」と強調している。学会が重要だと指摘するのは、「注意深い経過観察」、または「アクティブサーベイランス(※4)」の可能性を考えること。あえて分かりやすく言えば、治療を始める前に、「放置するのも手」というわけだ。
 注意深い経過観察とは、文字通り注意深くガンの拡大があるかどうか経過を観察していく方針を指す。アクティブサーベイランスも同様で、ガンの状態を継続的に確認する観察方法を示す用語だ。進行が見られない限り治療を開始しない――。学会は、前立腺ガンの治療方針を決める時には、必ずこれら二つの選択肢を考えたうえで治療を開始するように勧めている。
 前立腺ガンの場合は、ほとんど命に関わらない段階で見つかる可能性が高い。本当は手術が必要なかったという人も少なくないと、学会は見立てている。
 さらに学会は、「前立腺ガンの患者は、治療の選択肢をいくつも保有している」と説明、「手術や放射線治療ばかりではなく、積極的な治療を伴わない経過観察の選択肢も取り得ることを知ってもらいたい」と求める。その際に、治療の進め方については患者と医師との間で納得ずくで決めるよう促す。学会は、患者と医師との間で合意を形成するための助言書をまとめ、公表している。 
 患者にしてみれば、治療を進めないのは勇気のいることだ。医師にとっても、正しいと分かっていても治療を進めないのは度胸がいる。だからこそ、お互いに意識合わせをしましょうというわけだ。
 学会は前立腺ガンだけではなく、他のガンでも同じように患者と医師との間で納得していくプロセスが必要だと見ている。とにかく前立腺ガンの場合は、検査や治療が積極的であればいいというわけではない。

※4 英語で言うと特殊に聞こえるかもしれないが、要は注意深く検査を継続していくこと。治療こそしないものの、ガンの拡大が起きないかを見て、治療の必要性を随時判断する。

(第16回おわり、第17回へつづく)