室井一辰 医療経済ジャーナリスト

医療経済ジャーナリスト、室井一辰。『絶対に受けたくない無駄な医療』の連載をはじめ、医療経済にまつわる話題をご提供いたします。

(15回)『絶対に受けたくない無駄な医療』(室井一辰著,日経BP,2014) 受けたくない医療1【前立腺ガン】 前立腺ガンの検診のために安易に「PSA検査」をしない

絶対に受けたくない無駄な医療

絶対に受けたくない無駄な医療

【第15回】

ガン

ガンと一口に言っても、腹部のガン、生殖器のガン、
皮膚のガンなど様々な種類がある。ここでは日本での
関心の高さや患者の多さなどを踏まえながら、ガンの
治療を考えるうえで参考になる部分を見ていく。まず、
日本でも増える前立腺ガンの問題から始めよう。

受けたくない医療1【前立腺ガン】
前立腺ガンの検診のために安易に「PSA検査」をしない
米国家庭医学会、米国老年医学会、米国臨床腫瘍学会

 「おじいちゃんが前立腺ガンだったらしいよ」
 こんな会話が日本中で日常的に交わされている。一方で、こんなことも常識化していないだろうか。
 「前立腺ガンだと診断されても、死ぬことはあまりない」
 2011年に亡くなった往年の名プロゴルファー杉原輝雄さんは、前立腺ガンと診断されてからも現役選手としてプレーする姿が有名だった。前立腺ガンの診断を受けてから亡くなるまでに10年以上もあったが、前立腺ガンそのものがどう影響したのか、はたから見るとよく分からない。前立腺ガンの啓発キャンペーンに参加していた間寛平さんだって、前立腺ガンと診断されてからずいぶん時間が経っている。
 前立腺ガンは超有名疾患の一つと言っていいだろう。精子を泳がせる「プール」とも言うべき、精液を作るところが前立腺だ。その液を作る「腺」の組織がガンになりやすい。
 前立腺ガンの診断方法として知られるのが「PSA検査」だ。PSAは「前立腺特異抗原」の略で、前立腺だけで発生するタンパク質である。血液中に漏れると血液検査で検出できる。PSAの量が増えると、ガンの可能性があるというわけで、検査の対象として、世界的に実施が広がっている。早期にガンが発見できれば、早期に切除できて、死亡も避けられるとの考えが前提にある。
 ところが、ABIM財団に参加する学会のうち、米国家庭医学会、米国老年医学会、米国臨床腫瘍学会は「Choosing Wisely」のキャンペーンにおいて、「検診のためにPSA検査を行うべきではない」との方針で一致している。
 米国家庭医学会は、「前立腺ガンの検査のために、安易にPSA検査や触診をしてはならない」との見方をキャンペーンで示している。
 学会によると、「PSAによる検査が過剰な診断を招くことは臨床試験から明確になっている」と説明。多くの場合、「腫瘍があっても患者への有害性は低い」と言う。前立腺ガンになったとしても、それによって亡くなることは少ないということだ。
 「一方で、治療を受けた場合の有害性は明確。医師はPSA検査を行う場合には、患者に十分に説明をしたうえで同意を得なければならない」と注意する。有害性とは何かといえば、ガンでないにもかかわらず、下半身に傷をつけて前立腺を取り出してしまう可能性を指している。手術そのものの負担が重いうえに、手術後に性機能がなくなってしまう恐れもある。これも大きな問題だ。
 日本の場合、前立腺ガンの手術となれば、3割負担とはいえ全体で30万円ほどかかる。治療までいかなくても、精密検査が必要になれば、組織を取る検査にやはり10万円ほどかかる。身体的、経済的に重荷だ。
 PSA検査で前立腺ガンが見つかったところで有害性は低い。前立腺ガンと診断される人は増えるかもしれないが、全体で見れば死亡率に変化はない。「いや、ガンが見つかれば御の字でしょう」とも思ってしまうが、これは臨床研究で出てきた結果の一つだ。
 米国と欧州の臨床研究でほぼ共通した結果が、2000年代の後半から2010年代の前半にかけて出てきた。
 米国の「PLCO研究」と呼ばれる研究では、13年間にわたっておよそ7万7000人を調べた。前立腺ガンのPSA検査を毎年受ける3万8000人強、毎年受けない3万8000人強に分けて調べた大規模なものだ。この結果、前立腺ガンになったのは、PSA検査を毎年受けている人々からは4250人、受けていない人々からは3815人となった。比率で見ると、1万人当たり108・4人と97 ・1人で、PSA検査を受けている人々の方がより多く前立腺ガンを発見できた。
 ただ、死亡に至ったのは1万人当たりそれぞれ3・7人と3・4人で、統計分析の結果として差はない。PLCO研究の結論としては、PSA検査を受けても受けなくても、患者の死亡を防ぐ効果はないと指摘するものとなった。
 欧州の研究では、PSA検査で約20%だけ前立腺ガンによる死亡を避けられるという結果が出ている。臨床研究の結果から計算すると、1人の前立腺ガンの死亡を防ぐためには、1055人を11年間検査し続ける必要がある。すると、37人の前立腺ガンを発見できて、1人の前立腺ガン死を防ぐことができる。1人の死を防げるのであればPSA検査にも意味があると思うかもしれないが、米国の学会は「大山鳴動して鼠一匹」と見た。要するに、手の込んだ大規模な検診をした割には、出てくるメリットが少なすぎるというわけだ。
 こうした報告を受けて、特に米国では、PSA検査を実施すると負担ばかりがかさむと指摘している。

高齢者にはPSA検査をしない

 「残りの人生がどれくらいかによっては、前立腺ガンなど心配しなくていい。心配するだけ無駄だよ」。そんな見方も示されている。
 世界のガン医療を主導する米国臨床腫瘍学会はChoosing Wiselyで、「平均余命10年未満で、尿が出にくいといった前立腺に関係した症状のない男性に対しては、PSA検査をしてはならない」と言う。
 学会は「血液検査だけで前立腺ガンを診断できて便利だと、多くの医師が繰り返しPSA検査を実施するようになった」と振り返り、「症状のない男性から早期の前立腺ガンを発見してきた」と指摘する。その一方で、「不幸なことに、PSAはやっぱり有益ではなかった。前立腺ガンがあっても、PSA値が高くない男性が多すぎるからだ。ガンに無関係にPSA値が上昇しているだけだったりする」と嘆く。
 例えば、PSAの値が上がる要因に、良性の前立腺肥大のような状態も原因になる。また、PLCO研究のように、PSA検査を受けても前立腺ガンで死ぬかどうかに影響しないという結果もある。結局のところ、PSA検査を受けたからといって、長生きにつながらないという事実が、米国臨床腫瘍学会のような学会が検査を否定的に捉える背景にある。
 特に、統計情報に基づいて判断すると、平均的な余命が10年を切る高齢の男性に「PSA検査は不要」という点を重要視している。無症状の前立腺ガンで亡くなるよりも、ほかの原因によって亡くなる可能性が高い。PSA検査を受けたからといって、寿命が延びるわけでもないので、受ける必要はないと考えるわけだ。
 余命が少ないにもかかわらず、検査で余計な結果が出てくれば、負担が増すばかり。学会とは異なる米国の公的機関、米国予防医学作業部会(USPSTF)も、2012年に前立腺ガンのPSA検査を最低の推奨度に設定、「実施する意味はない」と強調した。
 日本でも、検診を実施する時には平均余命や検査に伴うリスクを必ず考えるようにすべきかもしれない。米国老年医学会はPSA検査だけではなく、乳ガンや大腸ガンの検診も含めて平均余命や検査のリスク、過剰診断と過剰治療を考慮すべきとの姿勢だ。
 ガン検診がメリットばかりではなく、短期的にはむしろリスクにつながる可能性があることは意外と知られていない。検査を受けたことで、かえって合併症を引き起こす恐れもあるのだ。命に関わらない腫瘍を過剰に診断したり、過剰に治療したりしてしまう可能性もある。前立腺ガンでは11年間で1人の死を防ぐために、1055人を検査し、37人を治療する必要があるのは既に述べた通りだ。
 乳ガンや大腸ガンについても、10年間で1人の死亡を防ぐためには1000人を検査する必要があると分かっている。10年を下回る平均余命の場合には、これら3つのガンの検診は短期的な有害性を起こすばかりでほとんどメリットがない。リスクとリターンの観点は必須だろう。

(第15回おわり、第16回へつづく)