室井一辰 医療経済ジャーナリスト

医療経済ジャーナリスト、室井一辰。『絶対に受けたくない無駄な医療』の連載をはじめ、医療経済にまつわる話題をご提供いたします。

中心静脈栄養──中止のタイミングとは(56回)『世界の医療標準からみた受けてもムダな検査 してはいけない手術』(室井一辰著,洋泉社,2019)

世界の医療標準からみた受けてもムダな検査してはいけない手術

世界の医療標準からみた受けてもムダな検査してはいけない手術
中心静脈栄養──中止のタイミングとは
食べることが困難になったら

 自分の力で食べること、排泄することは、人間の尊厳を保つうえで大切なことだとされています。逆に言えば、それらを他人に頼らざるをえない状況となると、その人の人間として生きる尊厳が失われることにもつながると考えられるわけです。
 病気によって自分の力で食べることが困難になる人は決して少なくありません。そうなったときに栄養を補給する方法はいくつかありますが、その一つが「中心静脈栄養」です。心臓に近い静脈に管を通して、栄養液を注入する、という方法です。太い血管を通して直接栄養を入れることができるため、濃い栄養液でも適度に薄められ、確実に全身に栄養を行きわたらせることができます。またこの管を通して薬を投与したり、採血をしたりするのにも利用されることがあります。
 しかし、全身に流れる血液に直接アプローチする方法であるために、誤って細菌を注入してしまうことがあれば、重い感染症を引き起こす恐れもあります。また血管内で血液が固まり、血栓を発生させるリスクもあります。
 そうした課題はあるものの、この中心静脈栄養の利用者は少なくありません。日本慢性期医療協会の2016年の調査によると、医療を必要としており病床に入院している人の1割強が中心静脈栄養を行っています。さらに、そこまで状態の悪くはない介護療養病床でも、1%程度は利用しています。ごく一般的な医療行為となっていると考えて良いでしょう。

長期にわたって栄養や薬を使わざるを得ない場合に限るべき

 チュージング・ワイズリーは、安易に中心静脈栄養を続けることにはネガティブです。米国老年病学会は、中心静脈カテーテル(管を通すこと)を安易に使わないように、という見解を示しています。患者への栄養補給が難しいといった問題を解決しようというニーズから普及してきた手法ですが、そうして行われてきたカテーテルの中には、本来は行う必要のなかったケースも少なくない、と学会は厳しく問題視しているのです。
 利便性という観点からみると、口から食べられなくなった人を介助する人にとって、中心静脈栄養は手間が少ないという利点があります。とはいえ、口から食べられなくなった人でも、辛抱強く手助けすれば口から食べてもらうことは不可能ではありません。労力を要しますし、時間もかかりますから面倒に感じてもおかしくはないでしょう。日本の医療現場からも、そんなのは無理だという声も聞かれます。人手不足の医療現場では、中心静脈栄養を中止せずになるべく続けるようにしたほうが都合がいい、という事情もあるようです。
 しかし、世界的には、中心静脈栄養は費用負担が重くなる上に、前述の通り副作用として感染症や血栓のトラブルを引き起こす可能性を問題視しているのです。
 米国老年病学会などは、中心静脈栄養は不要になったらすぐに中止すべきだ、とかなり強い主張をしています。行う必要があるのは、長期にわたって血液中に抗菌薬を投与する場合のほか、抗がん剤を投与する場合、口から食べることができず栄養を注入せざるを得ない場合、頻繁な採血が必要になる場合である、と明言しています。