室井一辰 医療経済ジャーナリスト

医療経済ジャーナリスト、室井一辰。『絶対に受けたくない無駄な医療』の連載をはじめ、医療経済にまつわる話題をご提供いたします。

がん治療薬──時代遅れの抗がん剤不要論よ、さらば!(44回)『世界の医療標準からみた受けてもムダな検査 してはいけない手術』(室井一辰著,洋泉社,2019)

世界の医療標準からみた受けてもムダな検査してはいけない手術

世界の医療標準からみた受けてもムダな検査してはいけない手術
がん治療薬──時代遅れの抗がん剤不要論よ、さらば!
総患者数162万人の期待が集まる分子治療薬

 厚生労働省の患者調査によると、最新データとなる2014年の悪性新生物(がん)の総患者数は162万6000人でした。増加傾向は続いており、誰しも関心を持つ病気となっています。国立がん研究センターがん情報サービスの最新データによると、死亡者数は2017年で37万3334人。1981年以来、死因のトップです。著名人が亡くなったというニュースでも、その原因としてがんが紹介されており、世の関心に拍車をかけているかもしれません。
 がんとは、細胞に遺伝子異常が複数発生し、その細胞が異常な増殖をする病気です。周囲に異常な細胞が広がったり、ほかの臓器に転移したりします。がん細胞ができたとしても、早期のうちは症状が現れないことも珍しくありません。増えてくると、痛みを引き起こしたり、内臓の異常の原因になったりします。
 がんの治療は、異常な細胞の増殖を見つけ出すところから始まります。そのために症状を見たり、問診で親戚のがんの有無を調べたり、血液検査や画像検査を行ったりします。がんだとわかれば、手術で取り去ることができるようならば取り去り、そうでなければ抗がん剤や放射線などを組み合わせた治療を行うことになります。これは国際的にも共通しています。
 そうした中で、存在感を高めているのが「分子標的薬」です。がん細胞の持っているたんぱく質など(分子)をターゲット(標的)として増殖を抑えたり、破壊したりしてがんの機能を抑え込もうという薬です。日本では、肺がんに使われるイレッサをはじめ、乳がんのハーセプチン、大腸がんのアバスチン、白血病のグリベックなどが登場し、いまや80種類を超える数が処方されるようになっています。
 この薬のポイントは、がんの細胞が、薬のターゲットとなるたんぱく質を持っているか否か、というところにあります。たんぱく質を持っているか否かは、遺伝子によって決まっており、人によって薬の効き方が大きく異なるため、薬を処方する前にあらかじめ遺伝子の情報を調べるということが行われています。そうすることで、薬が効くかどうかを事前に推定できるわけです。このような事前の検査をすることはコンパニオン診断とよばれ、世界的にもこうした事前に遺伝子を検査する動きは広がっています。個人個人の患者さんに合わせてオーダーメイドのような治療法を考えることを「プレシジョン・メディシン(精密医療)」と呼び、こちらにも注目が集まっていますが、同じような潮流といえるでしょう。

抗がん剤の不要論を言っている時代ではない

 今、国際的にはこのプレシジョン・メディシンが常識として受け入れられており、がん治療の様相は急速に変化してきています。米国で不要な医療をなくそうとしているチュージング・ワイズリーも例外ではありません。
 米国臨床腫瘍学会、すなわちがん治療を専門に研究する、世界でもトップクラスの医学会は、分子標的薬を使うならば、あらかじめ薬に反応するかどうかを調べるよう求めています。従来型の医療においては、がんになった人の遺伝子を調べて薬の効果を探ることは一般的ではありませんでした。そうした薬の使い方を大きく変えていこうと提案しているのです。まさにプレシジョン・メディシンの考え方にのっとり、遺伝子検査を行ったうえで、薬が有効ながん患者を見極めるのが常識だという考え方を示したのです。
 既に紹介したとおり、分子標的薬はあらかじめ効く人を、遺伝子を調べることで推定することができます。そうして、効く人に絞って使うことで、薬の効果を最大限に引き出すことができます。一方で、事前に効かないと分かっているのに薬を使えば、効果がないばかりか、薬の副作用によって使用者を苦しめる可能性もあります。薬剤費も1カ月に100万円近くかかっている場合も少なくありません。日本では3割負担で済むとはいえ、負担はかなり重いものになります。薬が効かないと分かっているのであれば、最初から使わないことで身体的、経済的な負担を軽減できるのです。
 さらに、チュージング・ワイズリーでは、薬が効くと分かっている場合でも、治療を受ける人の身体状態が悪化しているときには、薬が効きづらい可能性がある場合もある、と指摘しています。

抗がん剤不要論は正しいか

 日本では薬自体を使わなくてもいい、といった極端な考え方がみられることもありますが、私はそれは暴論だと考えています。これは私のあくまで想像なのですが、もしかすると、かつてコンパニオン診断などが登場する前に、効果が見込めるかよく分からないままに薬を使って、それが効かなかった、というケースはあったのだろうと思います。それを目の当たりにした誰かが、それから抗がん剤を使うこと自体に疑問をもつようになり、そこに尾ひれが付いた形で、抗がん剤不要論に発展した可能性があるのかもしれないと思うのです。
 がん治療薬には、分子標的薬のように、人によって効く人と効かない人がはっきり分かれる薬があるのは事実です。抗がん剤不要論が出てきた背景として実際のところがどうだったのかはよく分かりませんが、いまでは薬が効くか効かないかがある程度、事前に分かるようになっています。ということは効くと分かっていれば、使わないという選択肢を考える必要はなくなったとも言えるのかもしれません。
 一方で、薬がどれくらいの効果を示すかが分かったのですから、もっとプレシジョン・メディシンとはどういうものか、明確に説明をして、理解を広げていくべきだと思います。薬が発展途上というのはあるかもしれませんが、そこの部分の情報発信はさらに力を入れるべきだと、医療経済ジャーナリストとしての自戒を込めてここに記しておきたいと思います。