【第110回】
あとがき
冒頭で獣医学を学んでいたと述べた。誤解を恐れずに言えば、人間の医療は「生の医学」で、獣医学は「死の医学」と考えたことがある。
獣医学を学べば分かるが、獣医学の世界では医療と死が常に隣り合わせだ。「殺処分」が選択肢の一つとして当然のようにつきまとう。
ウシの場合、口蹄疫に感染すれば有無を言わさずに殺したうえで、埋却あるいは焼却しなければならない。高病原性鳥インフルエンザに感染したニワトリも同じように殺処分する必要がある。法律で定められているからだ。
強い感染性を持つ病気であればあるほど、早期に病気を根絶させなければ関係した動物への病気の拡大を許し、許容範囲を超えた経済的な損害を与えてしまう。産業動物の診断と治療、予防を前提とする以上、医療で得られる利益と医療のためにかかる費用、すなわちリスクとリターンは背中合わせで必ず考えなければならない。
ところが、人間の医療では獣医学のような単純な割り切りは利かない。「インフルエンザにかかったから、もう生かしておくわけにはいかない」などという考えはホラーの世界でしか成立しない。人間の医療は、とにかく生かすことを前提とする。人を対象とした医療も費用対効果を意識しているはずだが、採算度外視の考えが幅を利かせやすい。
本編で紹介したように、例えば、終末期の医療では混乱を極めて、誰もがまともな判断をできなくなっている。採算度外視も飛び越え、過剰な医療的介入によって人間の生きる尊厳が蹂躙されている場合もある。
ウイルス感染症に対する抗菌薬の投与のように、全く無意味な医療が気休めに提供されている。効果と費用、リスクの発想が介在しない場合が多い。
獣医学に触れていたからか、費用対効果の視点で医療を見る「Choosing Wisely」の考え方をすんなり受け入れられた。Choosing Wiselyは、生を大前提とした医療に軸足を置きつつも、終末期医療で見られるような医療の反省などを背景に思考を正常化させる動きと理解している。よりよい「生きるための医療」の構築につながる運動と感じている。
あらためて、この本でなされた考察が、読んでいただいた方が考える何かのきっかけになれば幸いだ。最後までおつき合いくださり心より感謝したい。
最後に、編集を担当してくださった日経BP社の篠原匡さん、快く取材に応じてくれた方々、そして執筆に集中する時間を許し、応援してくれた妻と息子に感謝したい。
2014年5月 室井一辰