室井一辰 医療経済ジャーナリスト

医療経済ジャーナリスト、室井一辰。『絶対に受けたくない無駄な医療』の連載をはじめ、医療経済にまつわる話題をご提供いたします。

(10回)『絶対に受けたくない無駄な医療』(室井一辰著,日経BP,2014)なぜ無駄な医療は止まらない?    人には言えない   医療側の大人の事情

絶対に受けたくない無駄な医療

絶対に受けたくない無駄な医療

【第10回】

第一部
なぜ無駄な医療は止まらない? 
   人には言えない
  医療側の大人の事情

 医療に対して悩みを抱える患者の経験談を振り返っていくと、あたかも「医師ら医療側が患者にひどい仕打ちをしている」と思いたくなるかもしれない。ただ、医療側とて、あえて無駄な医療を提供したいはずはない。それなのに、なぜ無駄が紛れ込んでしまうのか。
 それには2つのパターンが考えられる。一つは、大して意味がないという事実を「知っていてやっている場合」、あるいは「おぼろげに知っていながらやっている場合」だ。もう一つは「そもそも知らない場合」である。 後者のそもそも知らない場合をまず考えると、こちらは知識の更新が追いついていないだけだ。無知は「言語道断」と思われがちだが、程度の問題で、あまりに古い情報がアップデートされていないならば問題だが、最新情報まで常に完璧に押さえられるとは限らない。とにかく知識の更新が重要だと言うほかはない。
 もちろん、これは重要な問題であり、医療側が情報を取り入れやすくする体制を整えることが重要だ。現在、日本医学会などが医師の生涯教育や再教育を促す仕組みを作ろうとしている。整備が十分とはまだ言えないので、同様の取り組みを広げていくことが求められる。
 一方で、無駄という事実を知っている場合もあり得る。こちらの方がむしろ厄介かもしれない。「まさかそんなことはない」と言われるかもしれないが、実際には起こり得る。その背景にある元凶を挙げたいと思う。基本的には、「医療側が利益を追求したい場合」と「リスクを回避したい場合」の二つが考えられる。

手術をすれば収益アップの現実

 医療側が利益を追求するインセンティブを持つ場合として、まず医療機関の経営問題が挙げられる。
例えば、検査をすればするほど儲かる、治療をすればするほど儲かるといった状況であれば、売り上げや利益を上げるために過剰に診断したり、過剰に治療したりするようになる。どういった医療が提供されるかは、経営の問題に左右されやすい。過剰に提供されれば、無駄な部分が生まれることは否めない。
 個々の検査や治療の問題とはやや異なるが、医療体制の問題として、日本の診療報酬の動きを見ると経営的な利益が医療提供体制に影響を及ぼす事実を知ることができる。
 2006年度の診療報酬改定の後に、ある医療体制が想定を超えて全国的に急増した事例があった。何らかの病気で短期的に入院する患者の入院費用の問題で、7人の患者に対して看護師を1人置く体制を整備すると、入院費を新たに1日1万5660円も余計に請求できるような変更があった。すると、もともと4万床にすぎなかったものが、2014年には想定を大きく超えて36万床になった。
 過剰なほどの検査や治療──。もしかすると、贅沢な体制で医療が受けられれば患者にとって好ましいと見えるかもしれない。その半面、過剰な検査や治療で無用な身体的、精神的な負担を受けたり、必要な検査や治療にカネが回らなくなったりする恐れもある。「過ぎたるは及ばざるがごとし」と考えるべきだろう。


 患者が死ぬケースもあり得る。
 最近では2013年に、太ももからつま先にかけて足の血管が狭くなる「末梢閉塞性動脈疾患(PAD)」の治療で問題が指摘された。「ステント」と呼ばれる管状の金属製の網で裏打ちして、狭くなった血管を広げる治療で事故が多発、日本血管外科学会の幹部医師らが、「不適切な治療によって患者が死んでいる場合もある」と実態を告発したのだ。
 動脈硬化が進むと、足の血管が狭くなって血流が滞る。ひどくなると、足の血行がなくなって皮膚や筋肉の細胞が死に始める場合もある。最悪の場合、足を切断しなければならない。その状況を防ぐために、足の血管を人工的に開く治療が世界的に広がっている。前述の医師が問題視したのは、症状が出ていない患者に対して積極的にPAD治療を行う医療機関が多かったということだ。
 本来であれば、この治療は痛みがあったり、歩行に障害が出ていたりした場合にすべきもの。ところが、必要もないのに血管内に異物を入れられて、かえって症状を悪化させる患者が出てしまった。その後、血管外科の医師のところに助けを求める患者が続出、死亡例が出たこともあって注意喚起に至ったというのが事の次第である。
 なぜこういった治療がまかり通るのだろうか。現場の医師に話を聞くと、こうした血管系の治療では医療機関の経営的な問題がバックにあるという声がしばしば上がる。「手術を増やすと病院の成果になる側面がある」とある医師も打ち明ける。
 PAD治療の場合、血管の治療を行えば1回当たり20万円ほどかかる。裏を返せば、医療機関にとって貴重な収益になるということだ。ステントを使ったPAD治療は患者の身体的負担が軽いこともあって、よかれと思って進めている場合も少なくないが、結果として過剰な治療が広がってしまう。
 心臓をはじめとした血管系の治療のうち、カテーテルを使った治療も同様の理由から安易に広がりやすい傾向がある。
 もちろん、医療機関から「ウチは経営的に儲かるから、検査や治療を増やしています」という声を聞くことはない。そんなことが表沙汰になれば、インターネット上で噂が広がり、炎上することは間違いなく、医療機関に閑古鳥が鳴きかねない。問題となる動きは、静かに漏れ伝わってくるものだ。

 今なお続く企業との癒着

 医療側の利益追求が問題になるケースとしては、製薬企業を中心とした企業と医療界の癒着もある。
 癒着といっても様々なレベルがあり得る。
 米国からの報告によると、国レベル、あるいは国際レベルの検査や治療の指針を決める幹部医師と企業の癒着はよく問題として指摘される。報告によって差はあるが、世界の医師が範とするガイドラインを作る幹部医師のうち、数%から50%が顧問契約、研究助成、株の保有の形で製薬企業との利害関係を持っている。
 ガイドラインの公正さをめぐって、社会の批判が巻き起こることもしばしばだ。幹部医師への利益供与によって、重要な検査や治療の方針が偏ってしまうとすれば重大な問題だろう。過去には診断基準の作成に当たって、米国精神医学会が製薬企業との癒着を追及されたこともある。
 製薬企業による臨床研究のデータ改ざん問題では、世界的なスキャンダルが起きている。最近ではスイスの製薬企業、ノバルティスファーマの日本法人が高血圧薬の処方に関する広告データを改ざんした。この疑惑を受けて、日本高血圧学会のガイドラインにおける推奨内容についても疑義が持ち上がっている。同社は白血病の薬でも不正があると指摘された。さらに、武田薬品工業まで広告で指針にそぐわない学会発表のデータを引用していたと指弾されている。同様の問題は海外でも珍しくない。
 個人レベルで見ても、筆記用具や食べ物といった企業からの贈り物は日常茶飯事である。米国の報告では医師の4人に3人は企業から弁当をもらうのは問題ないと見ており、4人に1人は手の込んだプレゼントをもらうのも問題ないと見ていた。
 日本では業界団体の規制などで締めつけが強くなっているため、ペンやカレンダーの提供はここ最近止まっている。その変化は医師の間での話題に上るほどで、見方を変えれば、常態化していた事実の裏返しだ。懇意の企業の営業担当者に便宜を図って、特定の薬を優先的に処方するような事例は今でもよくあることだ。
 癒着の問題は、薬A、薬Bの間に大した差がないような場合に表面化しやすい。血圧を下げる薬、コレステロールを下げる薬など、同様の薬効を持つ薬が複数存在する場合、互いに大差がないケースが少なくない。「どうせ薬効が同じならば問題あるまい」と見て、「ウチの薬で」と営業をかけて処方されていく。
 この問題を、私はよく板チョコレートのたとえで考える。明治の板チョコとロッテの板チョコのどちらにするか、消費者にとっては大差ないように思える。だからこそ、広告宣伝が重要な意味を持つ。癒着というと聞こえは悪いが、要は広告宣伝の一環と考えればいい。
 ともあれ、治療の効果に影響がなければまだしも、効果を妨げるとすれば看過できない問題だ。さらに、薬剤から得られる効果に差がなくても、医療にかかる出費が増える要因になれば、やはり患者および国の財政にとって迷惑な話である。

(第11回へ)

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