室井一辰 医療経済ジャーナリスト

医療経済ジャーナリスト、室井一辰。『絶対に受けたくない無駄な医療』の連載をはじめ、医療経済にまつわる話題をご提供いたします。

(2回)『絶対に受けたくない無駄な医療』(室井一辰著,日経BP,2014)〝STAP騒動〟 の背後にある国民の変化

絶対に受けたくない無駄な医療

絶対に受けたくない無駄な医療

【第2回】

〝STAP騒動〟 の背後にある国民の変化

 最近、医療への関心、または不安や不満を感じる人が増えているように感じる。そこには、背景があると考えている。
 2014年4月、医療の常識を覆すような出来事があった。日本人間ドック学会が中心となって、血圧や血糖値、コレステロールなどの検査値において健康と判断できる基準を独自に発表した動きだ。従来は日本高血圧学会、日本糖尿病学会といった専門的な学会が科学的根拠に基づいて基準を作ってきた。今回の〝事件〟の特徴は、非専門学会が専門学会の見解を完全に無視した点にあった。
 例えば、高血圧であれば、2014年の時点で日本高血圧学会の高血圧治療ガイドラインは高血圧の基準値として、収縮期血圧、いわゆる「上の血圧」で140mmHg以上、拡張期血圧、いわゆる「下の血圧」で90mmHg以上の場合を高血圧と見なしている。さらに、上の血圧が130~139の場合、下の血圧が85~89は正常高値として要注意の層と見ている。
 ところが、日本人間ドック学会は健診を受けた人のうち健康と判断できた1万5000人を抽出したデータから、上の血圧で147、下の血圧で94までが健康である可能性があると示した。従来、高血圧とくくられた人も健康と解釈できる可能性もあり、「これまで服用していた薬は何だったのか」「治療をそもそもする意味はあるのか」「本当に私は治療を受けなくてもいいのか」「147/ 94くらいの水準であればやはり治療が必要ではないか」など議論を巻き起こした。
 この動きの背景は本書の最後の方でも書くが、ここでは一般の関心の高さについて触れる。私はこの問題を週刊誌の企画を通して世に問う機会をいただいたのだが、掲載号が記録的な売り上げを記録した。数年に1回と言ってもいいメガヒットで、新聞や雑誌、テレビがこぞって後追いしたのを私は興味深く見ていた。


 2014年は、STAP細胞の〝騒動〟も大きく話題として取り上げられた。私個人としては、恐らくほかの人々とは別の意味で衝撃的だった。別の意味でと言うのは、「リケジョによる世紀の大発見」「データの操作や他論文の無断引用」といったメディアを賑わせた話題そのものだけに注目したわけではないということだ。
 私が興味深かったのは、これだけ専門性の高い、言わば「マニアック」な医療の情報に、大きく熱を帯びて国民の関心が注がれたブームが生じる背景の方だった。医療にこれほどみなが強い関心を持つものなのかと衝撃を受けたのだ。
 STAP細胞はもはや耳慣れた用語になった。でも、一歩下がって冷静に考えると、医学の中でもとりわけ専門的な再生医療の中の、さらに先端の分野の話題である。素通りされる話題であっても何ら不思議はない。いくらiPS細胞の余熱があるとはいえ、ベースには医療に対する国民の強い関心があると思われた。それがゆえに、日本全国が熱い視線を注ぎ、強い批判につながったのではないだろうか。
 この二つの事件を前にして、大げさかもしれないが、2014年は過去を振り返って日本人が最も医療に関心を注いだ年であり、一つの節目になるのではないかと思える。

 あらためてデータを見直してみると、確かに医療は多くの人にとって身近な話題であり、大きな関心事になっている。まず言えるのは、病気を患っている人がそもそも増えているということだ。それは、厚生労働省の「患者調査」に目を通せば歴然としている。
 2002年の段階で792万9000人だった推計患者(調査日1日の患者数。入院患者と外来患者を含む)は、直近調査の2011年には8・5%増の860万1500人になった。内訳を見ると、約34万6500人だったガンの推計患者数が2011年には36万9900人、糖尿病が21万9900人から23万2400人、筋肉や骨格の疾病が95万3600人から106万4900人などと増えている。
 自身、あるいは身内が健康であれば、医療はできれば関わりたくない存在であり、関心さえ抱かないものだ。ところが、いったん自分や家族が病気になれば、今まで見向きもしなかった医療と向き合わざるを得ない。
 さらに、医療機関への不満が当たり前になっている。病気が身近になったことが背景にあると思われるが、この十数年を振り返れば、2001年に起きた東京女子医科大学の医療事故とその後の隠蔽事件が大きな転機になっているのではないだろうか。
 それ以降、テレビなどで医療不信が叫ばれるようになる。2004年、山崎豊子原作で医療過誤をテーマにした『白い巨塔』がフジテレビで25年ぶりにリメークされて大ヒットしたのは、医療に対する不安や不満が噴出した世情を反映していたからだ。医療訴訟の件数も2004年度にその後も含めてピークを迎えている。
 厚生労働省の「受療行動調査」の2011年のデータによると、医療機関に対する不満を感じたことがあると回答した人は31%に上った。多くの日本人にとって、医療は信頼を寄せる対象だったが、今では医療に不満を持つのは半ば当然になっている。


 医療が国民の関心事になり始めたのは、経済を左右する要素として注目されたことにも理由がある。
 この十数年は日本経済にとっても試練の年だった。日本のGDP(国内総生産)は2000年前後を境に停滞を続けている。一般家計にしてみれば、所得の伸びが抑え込まれる状況が続いたということだ。
 健康保険や介護保険の負担は誰しもが感じている。患者が増加したこの10年間、当然のことながら懐から出ていく医療関連の出費も増えた。寒い懐からの出費だからこそ、意味のある診断や治療に充てたいと考えるのは自然なことだ。医療に向けられる視線が厳しくなる理由はあっても、優しくなる理由はほとんどなかった。
 メディアを通して医療とカネの問題がたびたび登場したのも大きかったかもしれない。日本の国民医療費は2011年度に38兆5850億円を記録するなど、国家予算の4割に相当するまでになっている。目下、多くの企業がヘルスケア事業を手がけ始めており、その動きを伝える記事も新聞紙上を賑わせている。医療に関心が高まる中で、人間ドックやSTAP細胞の話題がタイミングよく日本人の心を揺さぶったように見えた。
 もっとも、国内ではあまり知られていないが、医療への厳しい目が集まる中、米国から興味深い動きが出ている。そこには、無駄を内包した医療に不満を感じ、意味のある医療を求める日本人に福音になりそうなヒントが満ち溢れている。その新しい動きに触れる前に、医療情報にまつわる現状について触れておきたい。

つづく、第3回へ